八景和歌と六歌仙 江戸初期~中期 計14枚

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¥388,000 税込
商品コード: s-1495
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筆者 妙法院宮尭延
延宝4年(1677年) - 享保3年(1719年))江戸時代前期から中期にかけての入道親王。父は霊元天皇。母は五条庸子。幼名六宮。出家前は周慶親王(ちかよし しんのう)といった。
9歳のとき京都妙法院に入り、堯恕法親王に師事した。親王宣下を受けたのちに出家し、その後は3度天台座主を務めている。4代将軍徳川家綱の三十三回忌の法会、徳川家康の百回忌の法会では、その導師を務めている。

清水谷實業
江戸前期の公卿・歌人。清水谷公栄の子。三条西実条の孫。元名鳴滝。権大納言正二位。蕃山四天王の一人。和歌・狂歌を能くした。門人に香川宣阿・北村季吟らがいる。宝永6年(1709)歿、62才。

庭田重條
江戸中期の公卿。重定の子。兄・雅秀の養子となる。一字名は正、法名は堯祐。仕えて権大納言従一位に至る。享保10年(1725)歿、76才。

中院通躬
(なかのいん みちみ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿・歌人。内大臣・中院通茂の長男。官位は従一位・右大臣。中院家18代当主。

裏松意光
江戸中期の公卿。参議資清の次男、子は益光。仕えて正二位権中納言に至る。和歌・書画を能くした。宝永4年(1707)歿、56才。

平松時方
江戸中期の公卿・有職家。時量の次男。野宮定基・東園基量・滋野井公澄と並んで有職の四天王と称された。権中納言従二位に至る。宝永7年(1710)歿、60才。

鷲尾隆長
江戸中期の公卿。正二位権大納言。隆尹の男。画を狩野永納に学び、人物・花鳥画を能くする。元文元年(1736)歿、65才。

曼珠院宮良應
1678-1708 江戸時代前期-中期,後西(ごさい)天皇の第11皇子。 延宝6年6月8日生まれ。母は藤原定子(ていし)。貞享(じょうきょう)4年親王となったのち,良尚入道親王を戒師として得度,京都曼殊院の門跡(もんぜき)となる。宝永5年6月21日天台座主(ざす)となり,同日死去。31歳。円妙院と追号された。幼称は勝宮(かつのみや)。俗名は勝明(かつあき)。

六歌仙
妙法院宮尭延

今出川伊季
江戸中期の公卿。今出川公規の子。本姓藤原、一字名は尹・鳥、菊亭とも称す。仕えて内大臣右近衛大将正二位に至る。歌学に通じ、管弦を好み、琵琶を能くした。宝永6年(1709)歿、50才。

徳大寺公全
江戸時代中期の公卿。官位は正二位・内大臣。

醍醐昭尹
醍醐 冬熙(だいご ふゆひろ)は、江戸時代中期の公卿。従一位左大臣。初名は冬実(ふゆざね)・昭尹(あきただ)。一字名は召。号は後信性普明寺。後陽成天皇の男系三世子孫(曾孫)である。

中山篤親
正親町実豊の三男、中山英親の養嗣子。 仕えて従一位権納言に至る。 享保元年(1716)歿、61才

曼珠院宮良應
寸法 本紙:横約17㎝ 縦約19㎝
本:縦26㎝ 横22.8㎝ 厚さ:2㎝
付属品
商品説明 瀟湘八景が和歌8枚と六歌仙6枚の帳です。
瀟湘八景は中国の洞庭湖の南、瀟水と湘水が合流する地域の8つの勝景で、多くの絵画や漢詩に取り上げられ、日本には禅宗とともに輸入され、五山文学として広まりました。
製作年代は没年から推察しますと1600年の終わりごろと思われます。
料紙は金銀泥を箔を散し上部に龍文が描かれた上等な料紙です。

六歌仙は金泥に砂子を散し花唐草文が描かれた豪華な料紙です。
料紙、帖とも良い300年以上経ておりますが良い状態です。

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