与謝蕪村(よさの ぶそん、1716年(享保元年)~1783年(天明3))
本名は谷口信章、長庚のち寅。字は春星。
号は蕪村、四明、夜半亭、朝滄、趙居士、夜半翁、三菓堂、雪斎、碧雲洞、落日庵、他多数
内田沾山、早野巴人に師事する。
江戸で俳諧を学んだ後、各地を行脚、そののち京に定住する。
丹後与謝を好み、よく赴いた。その地名を取って谷口から与謝と改姓する。
画は、中国や狩野、土佐派をよく研究し、独自の画風を築く。
松村呉春、紀梅亭に俳諧と画を、高井几董、江森月居、吉別大魯、高橋東皐らに、
俳諧を、横井金谷に画を指導する。
代表著書に「夜半帖」「玉藻集」「芭蕉翁符号集」「花桜帖」。
代表句集に「新花摘」「明鳥」。
画の代表作に「奥の細道図屏風」「野鳥図」の他に、池大雅との合作「十便十宜図(国宝指定)」がある。
俳諧、文学、画に長じ、多彩な才能を示した。
江戸で俳諧を学んだ後、各地を行脚、そののち京に定住し、丹後与謝を好み、よく赴いた。その地名を取って谷口から与謝と改姓する。 画は、中国や狩野、土佐派をよく研究し、独自の画風を築く。
印名は「朝滄」 「雅仙堂」 「春星」 「春星氏」 「謝長庚」 「謝長庚印」 「長庚春星」
「四明山人」 「丹青不知老到」 「趙居士」 「三菓堂圖書印」(「三菓堂図書印」) 「夜半翁」 など