中島来章 (なかじまらいしょう 寛政8年(1796)~明治4年(1871) 75才没)
大津生まれ。名は来章、字は子慶、別号は春分斎、神通堂。
幼い頃より絵の修業のために京都に出る。
渡辺南岳、円山応瑞に師事する。
山水人物花鳥を得意とした。
幕末における円山派を代表する大家となり、四条派の横山清暉、塩川文麟、岸派の岸連山と共に
平安四名家と呼ばれた。
弟子には、幸野楳嶺や、川端玉章がいる。
中島来章 (なかじまらいしょう 寛政8年(1796)~明治4年(1871) 75才没)
大津生まれ。名は来章、字は子慶、別号は春分斎、神通堂。
幼い頃より絵の修業のために京都に出る。
渡辺南岳、円山応瑞に師事する。
山水人物花鳥を得意とした。
幕末における円山派を代表する大家となり、四条派の横山清暉、塩川文麟、岸派の岸連山と共に
平安四名家と呼ばれた。
弟子には、幸野楳嶺や、川端玉章がいる。