井伊直弼(いい なおすけ、1815年(文化12)~1860年(安政7))
近江国出身。本名は鉄之介のち鉄三郎のち直弼。
彦根藩11代藩主井伊直中の14男(庶子)として生まれる。
1846年、第12代藩主直亮の世子であった井伊直元が早死したため、直亮の養子となって世子となり
50年に直亮の没に伴い、13代藩主に就任。
1853年、ペリーが来航した際には、開国論を主張して、老中首座であった阿部正弘との対立。
57年には、徳川家定の継嗣問題で紀伊藩主の徳川慶福を推挙し、一橋慶喜を推す
一橋派の徳川斉昭と対立をかさねる。
58年には江戸幕府大老に就任し、勅許なく日米修好通商条約に調印、慶福を将軍継嗣に決定。
その後、「安政の大獄」と称される攘夷派の弾圧を行ったが、1860年3月3日大獄に対する反発から
桜田門外で水戸浪士らに暗殺された。