住吉廣道

住吉廣道(すみよし ひろみち、1599年(慶長4)~1670年(寛文10))
堺(大阪府堺市)出身、本名は光陳(幼名)、広通

はじめ土佐光陳と名乗った土佐光吉の門人であったが、1661年に剃髪して如慶の号を賜り、
さらに後西天皇の命で、鎌倉中期の画家住吉慶恩の画を復興するために姓を住吉と改め、
のちに法眼を叙任。

穏やかで細緻な土佐派の画風を踏襲しながらも親しみやすい人物描写や漢画的な表現を加えた画風を
特徴として、子の具慶(住吉廣澄)が後を次いで住吉派を確固なものとした。

住吉家初代

印名は「土佐」「土佐廣道」(「土佐広道」)「廣道」(「広道」)「和畫士住吉」(「和画士住吉」)「住吉」「法橋」など