勝 海舟 / 勝 安芳(かつ かいしゅう / かつ やすよし、文政6年(1823年3月12日)~明治32年(1899年)1月21日 77才没) 江戸本所亀沢町の生まれ。
蘭学は、赤坂溜池の福岡藩屋敷内に住む永井青崖に学んだ。
蘭学者佐久間象山の薦めもあり、西洋兵学を修め、田町に私塾(蘭学と兵法学)を開いた。
1860年、咸臨丸で太平洋を横断しアメリカ・サンフランシスコへ渡航した。
帰国後、軍艦奉行に就任。幕府側と倒幕側の間に立ち、江戸城無血開城に尽力した。
神戸に海軍塾、神戸海軍操練所を設立。
維新後は、新政府の海軍大輔、参議兼海軍卿、枢密顧問官。 幕末三舟の一人。
晩年は、ほとんどの時期を赤坂氷川の地で過ごし、
『吹塵録』(江戸時代の経済制度大綱)、『海軍歴史』、『陸軍歴史』、『開国起源』、『氷川清話』 などの
執筆・口述・編纂にあたった。