十代 旦入(たんにゅう、1795年(寛政7)~1854年(嘉永7))
本名は市三郎、惣次郎(幼名)のち吉左衛
10代楽吉左衛門
17歳の頃家督を継ぎ襲名。
千家十職として了々斎宗左や吸江斎宗左によく仕え、吸江斎宗左(宗旦)より旦入の号を賜る。
1819年の徳川家御庭焼の従事のほか、1828年に二度目の紀州行きを命じられ
吸江斎宗左、十代永楽了全、十一代永楽保全と共に南紀偕楽園窯に従事し、
治宝候より自筆隷書体の楽印を拝領し、おもな使用印とした。
作風は父・了入をよく継承し、ヘラの技術に優れ茶碗の角度によっての違った魅力を演出、
作品としては小ぶりのものを多く残している。
陶印は、徳川家斎順候の湊御殿御庭焼清寧軒窯に従事した頃の印「清寧印」、
他に行書「樂」(「楽」)印(楽の下部が正しく木となっている「木楽印」などを使用、
「木樂印」下部の木の字が撥ねている)