呉昌碩(ご しょうせき、1844年~ 1927年)
淅江省鄣呉村出身
篆刻家であった父に、幼少期より篆刻を学ぶ。
1856年、22歳の頃に学問を究め、各地の儒者として勤める。
その後も上海、杭洲などで、呉雲、呉大徴、潘祖陰らと交友。
また、画を任伯年に学んで、本格的に開始する。
82年には蘇洲、ついで上海に居を構え篆刻と、画業で生活を始める。
94年に日清戦争が始まると、呉大徴の幕客として活躍を示す。
また、1903年には、西湖畔に西冷印社を設立して、社長に就任。
以降は会社経営、画家、篆刻家を業とした。
画風は西洋紅を用いた(中国人画家では呉昌碩が初めて用いたとされる)発色で品格ある
個性的な力強い筆致を特徴として、桃、桃、梅、菊、竹などのモチーフに
自身の詩や書を付した作品を多く遺し、山水の作品はあまり見られない。