四代 江岑宗佐 逢源斎

(こうしんそうさ ほうげんさい、1613年(慶長18)~1672年(寛文12))
本名は十三郎(幼名)のち右馬之允、宗愛のち宗左

表千家4世家元 江岑宗左

千家三世の千宗旦の三男として生まれる。
兄に後の武者小路千家4世の一翁宗守、弟に裏千家4世の仙叟宗室がいる。

1642年、大徳寺の沢庵宗彭や玉舟宗璠の推挙により紀州徳川家の茶頭として赴任。
(以降幕末まで紀州徳川家に代々仕える)
また、1646年の父の隠居に伴い千家4世と不審菴を継承、そのとき父・宗旦は不審菴の裏手に
今日庵を建設しているが、こちらは弟の仙叟宗室が宗旦の没後に継承し、裏千家を確立した。
江岑宗左の著書として「江岑夏書」を残す。