土佐光吉(とさ みつよし、1539年(天文8)~1613年(慶長18))
京都出身、本名は久吉
土佐光茂の次男として生まれ兄に土佐米元を持つ。
兄米元が足利将軍家に仕えていたが、戦死したためその後を継ぐも、
一時期将軍家及び宮中との関係が中絶。
その後、宮中へ調進の御年扇、御月扇を再興して献上し関係を再興させ左近将監、従五位下に叙任。
退隠後は剃髪して久翌(休翌・休欲)と号して堺に在住。
代表作源氏物語画帳」が重文指定。
土佐光吉(とさ みつよし、1539年(天文8)~1613年(慶長18))
京都出身、本名は久吉
土佐光茂の次男として生まれ兄に土佐米元を持つ。
兄米元が足利将軍家に仕えていたが、戦死したためその後を継ぐも、
一時期将軍家及び宮中との関係が中絶。
その後、宮中へ調進の御年扇、御月扇を再興して献上し関係を再興させ左近将監、従五位下に叙任。
退隠後は剃髪して久翌(休翌・休欲)と号して堺に在住。
代表作源氏物語画帳」が重文指定。