安田靫彦

(やすだ ゆきひこ、明治17年(1884)2月16日~昭和53年(1978)4月29日 94才没)
本名は安田 新三郎。東京日本橋の料亭の四男として生まれる。

1898年、小堀鞆音に師事する。
青邨らと共に紫紅会を結成する。
前田青邨と並ぶ歴史画の大家。
焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わり、岡倉天心に認められ、
1907年に日本美術院に招かれた。

東京美術学校教授、文化勲章を受章。
日本美術院の初代理事。1959年宮中歌会始の召人(勅題「窓」を詠進)。
東京芸術大学名誉教授、東京国立博物館評議員会評議員、文化財審議会専門委員、
国立近代美術館設立準備員も歴任。

門下に小倉遊亀、森田曠平、益井三重子、岩橋英遠らがいる。

鑑定人・鑑定機関

安田靫彦鑑定委員会
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