小堀遠州 (こぼりえんしゅう、天正7年(1579年)~正保4年(1647)3月12日 69才没)
長浜市生まれ。近江小室藩主(1万2千石)で江戸初期の大名茶人。
本名は小堀政一。号は狐篷庵、宗甫。
遠州流茶道の祖。
遠江守に任じられた事から、遠州の名称で知られている。
幼少の頃より父新介正次の英才教育を受け、千利休、古田織部と続いた茶道の本流を受け継ぎ、
徳川将軍家の茶道指南役となる。
遠州は、王朝文化の理念と茶道を結びつけ、
「綺麗さび」という幽玄・有心の茶道を創り上げた。
現在は遠州流・小堀遠州流として続いている。
遠州は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。
彼の選定した茶道具は和歌から取った銘がつけられ、後世中興名物と呼ばれる。
門下としては松花堂昭乗、沢庵宗彭が有名。
遠州は、後水尾天皇をはじめとする寛永文化サロンの中心人物であった。