小村大雲 (おむらたいうん 明治16年(1883)1月9日~昭和13年(1938)2月20日 54才没)
島根県楯縫郡平田町(現出雲市平田町袋町)に生まれる。
名は権三郎、字は厳座、子荘。別号は豊文、赤松子、碧雲湖畔人、豊瑞、豊花等。
京都で修行し、山元春挙に師事する。
大正元年(1912)島根の加賀浦で題材を得た「釣日和」が
第6回文部省美術展覧会で第2科3等賞6席に入賞、
以後3年連続入選、5年には「畫舫」が第10回文展で特選、以後も特選、無鑑査となる。
大正8年、第1回帝国美術展覧会で「推薦」にあげられ永久無鑑査となる。
以後ほぼ毎年作品を出品し、委員、審査員など歴任する。