小田海僊(おだ かいせん、1785年(天明5)~1863年(文久3))
長州(山口県)出身。本名:煥のち嬴(えい) 。字は巨海。号は、海僊(海仙)、百谷、南豊。
上京後は松村呉春に師事。四条派の画技を習得した。
その後、頼山陽の知遇を受け、南画にも興味を示し、また浦上春琴、田能村竹田ら文人画かとも親交。
文化10年ごろを境に南画の作品が増えるが山水、花鳥のほか、独自に研究した唐美人画の描写に優れた。
印名は、「百谷山人圓書記」 「百谷」 「読書 以医俗」 「才子獨行」 「才戦眼暇頭雪色」
「楊 芙蓉園」 「白眼看丗上人」 「天香空外琴風」 「錦織邦農」 「巨海」 「巨海氏」
「王嬴之印」 「王嬴」 「王嬴巨海」 「南渠秋水春」 「海仙」 「漸入佳境」 「芙蓉生在秋江上」 など