山田介堂 (やまだかいどう、明治3年(1870)~大正13年(1924) 56才没)
福井県で生まれる。通称は巳三郎、別号に隻玉道人、桃陰居、寸碧。
細谷玄斎、田能村直入に師事。また富岡鉄斎への師事を希望したが受け入れられず、
京都鳩居堂主人の紹介により、門下同等の教えを受ける。
日本南画院の設立に参加し、田近竹邨らと京都南画壇の三元老と称された。
山田介堂 (やまだかいどう、明治3年(1870)~大正13年(1924) 56才没)
福井県で生まれる。通称は巳三郎、別号に隻玉道人、桃陰居、寸碧。
細谷玄斎、田能村直入に師事。また富岡鉄斎への師事を希望したが受け入れられず、
京都鳩居堂主人の紹介により、門下同等の教えを受ける。
日本南画院の設立に参加し、田近竹邨らと京都南画壇の三元老と称された。