山田方谷

山田方谷(やまだ ほうこく、1805年(文化2)~1877年(明治10))

5歳の頃から新見藩儒丸川松隠に学び、朱子学を修めて幼少時より詩文に秀でる。
その後23歳~25の頃に、2度京都に遊学して寺島白鹿に師事。
帰郷後は、松山藩校有終館教授に就任。
更に3度目の京都遊学にて、陽明学を学び傾倒、
30歳の頃には江戸に遊学して昌平坂学問所の佐藤一斎に師事。
帰郷後は、藩校での指導の傍ら34歳の頃に私塾「牛麓舎」を開いて門下を育てる。
また松山藩藩軍奉行、年寄役助勤、元締などを歴任して藩政に尽力を尽くした。

印名は「土木形骸」 「山田球印」 「山球印」 「琳卿」 「窓琳卿」 など