岸竹堂(きし ちくどう、1826年(文政9)~1897年(明治30))
彦根(滋賀県)出身。本名は昌禄。通称は八郎。
はじめは、地元の画家中島安泰に、画の手ほどきを受けていた。
京にて狩野永岳、次いで岸連山に師事。
その後、連山の養子となり、共に御所御堂御殿の襖絵制作などに従事する。
明治23年には、内国勧業博覧会にて二等銀牌を受賞。
明治29年には、帝室技芸員に拝命されるなど活躍した。
印名は「竹堂」「竹堂生」「岸緑字士和」「一日不作二日不貧」
岸竹堂(きし ちくどう、1826年(文政9)~1897年(明治30))
彦根(滋賀県)出身。本名は昌禄。通称は八郎。
はじめは、地元の画家中島安泰に、画の手ほどきを受けていた。
京にて狩野永岳、次いで岸連山に師事。
その後、連山の養子となり、共に御所御堂御殿の襖絵制作などに従事する。
明治23年には、内国勧業博覧会にて二等銀牌を受賞。
明治29年には、帝室技芸員に拝命されるなど活躍した。
印名は「竹堂」「竹堂生」「岸緑字士和」「一日不作二日不貧」