松本竣介(まつもと しゅんすけ、1912年(大正元)~1948年(昭和23))
東京都出身。太平洋洋画研究所卒
出身は東京だが、幼少期は岩手県にて過ごす。
13歳の頃、聴力に障害を持ち難聴となり、そのことがきっかけで画家になることを決意。
上京後、太平洋洋画研究所に学ぶ。
その後は二科展に出品、前衛的な作品を展開し、二科会の前衛的グループ九室会に入会。
太平洋戦争中は、作品に制限がされ、戦争絵画に類した作品しか制作が許されなかったため、
靉光らと共に新人画会を結成。
戦後からは自由美術家協会展に出品するが、36歳と言う若さで没した。
独自の前衛画風を確立しており、青系と茶色系の背景に黒と白の線で描かれた
風景や人物が、背景の色に縛られることなく存在し、この不規則な描法は松本独自のものであり
具象と象徴が混在した画風とも言える。
1940年に制作された代表作品「都会」では、後の戦争時代への傾斜・不安・悲愴さが
よく表現されている。
サインは「matumoto.s.」など