松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、1584年(天正12)~1639年(寛永16))
摂津国堺出身。号は南山隠士、滝本坊昭乗、松花堂、余生
出自については異説が複数あり、解明されていないが、昭乗の兄が奈良興福寺一乗院門跡尊勢(近衛信伊の次弟)の坊官を務める中沼家に仕えていたことにより、昭乗も奈良に移り、中沼家ならびに近衛家に仕えるといわれるのが一般的に有力な説。
その後、17歳の頃(1600年前後)、山城国八幡の石清水八幡宮瀧本坊実乗のもとで出家、僧籍となり、昭乗と名乗り、青蓮院流や大師流の書を研究。
後に、松花堂流の書を確立、書道のほか歌道、水墨画、茶の造詣を深め、大徳寺沢庵・江月などの禅僧や小堀遠州・金森宗和などの茶人とも親交を深める。
晩年は風雅を極めて、当時の文化人として近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称される。
尚、歌を近衛前久、近衛信伊より学び、画は1615年の大阪夏の陣の際逃げ延びてきた狩野山楽(武士・絵師)を囲っていた際に師事したと言われている。
代表作に「十六羅漢図」「三十六歌仙帖」
印名は「昭乗」「空識」「惺〃翁」「山〃雲」「松花堂」など