森田恒友 (もりたつねとも、明治14年(1881)4月9日~昭和8年(1933)4月8日 52才没)
埼玉県幡羅郡久保島村(熊谷市)に生まれる。
1901年、画家を志して上京し、 小山正太郎の不同舎に入る。また、中村不折に師事する。
1902年、東京美術学校西洋画選科に入学、青木繁の強い影響を受ける。
同校を首席で卒業後、文展に初入選。
同年山本鼎・石井柏亭らと雑誌『方寸』を創刊、挿絵画家としても活躍。
1914年、渡仏してセザンヌの故郷のエックス・ヴァン・プロヴァンスに滞在し、
セザンヌの画風に強い感銘を受ける。
1922年、小杉放菴、倉田白羊、梅原龍三郎らとともに春陽会創設に参加。
1929年、帝国美術学校洋画科主任教授。
院展時代から日本画的傾向を示し、田園水郷風景画に独自の静かで謙虚な水墨画を描きました。