橋本凝胤(はしもと ぎょいん、1897年(明治30)~1978年(昭和53))
奈良県平群村出身、本名は東丈太郎
1904年に法隆寺に入山して佐伯定胤の下で唯識を学ぶ。
翌年より師の意向で薬師寺に移住、1939年薬師寺123世管主。
翌年には法相宗管長にそれぞれ就任、67年に管主を弟子の高田好胤に譲り自らは薬師寺長老に就任。
共に金堂や西塔の再建に取り組んだ。
「大正新脩大蔵経」編纂に参画、中国、インド、チベットなどを遊学。
奈良県文化財保護やインドに日本寺建立のために尽力、インドのブッダガヤに仏塔を建立など。
また、政治家の大野伴睦、佐藤栄作や阪急グループ社長の小林一三と親交を深め、
平城宮跡の国有化実現に功績を残す。
印名は「龍華庵主」 「不染」 「薬師大支」 「大基凝胤」 など