浦上玉堂(うらがみ ぎょくどう、延享2年(1745年)~文政3年(1820年10月10日) 76才没)
岡山藩の支藩鴨方藩(現在の岡山県浅口市)の藩邸に生まれる。
若年より、学問、詩文、七絃琴などに親しむ。
35歳のとき、中国・明の顧元昭作と伝わる「玉堂清韻」の銘のある名琴を入手したことから
「玉堂」を名乗るようになる。
50歳のとき、武士を捨て、子供を連れて脱藩。以後は絵画と七絃琴を友に諸国を放浪。
晩年は京都に落ち着いて、文人画家として風流三昧の生活を送る。
代表作の「凍雲篩雪図」は川端康成の愛蔵品として有名。