清水公照(しみず こうしょう、1911年(明治44)~1999年(平成11))
兵庫県出身 龍谷大学卒
1927年東大寺塔頭宝厳院に入寺、清水公俊(後の義父)の下で修行し、僧名を公照。
33年からの天龍寺での四年間の禅の修業を経て、37年には東大寺塔頭龍蔵院、同上生院住職に就任。
戦時中は、中国に出征となるが、帰国後の46年に、東大寺塔頭宝厳院住職に就任。
47年に青々中学(後の東大寺学園)を創建、63年には東大寺幼稚園と女子学園園長に就任するなど
学校教育にも貢献。
華厳宗宗務長、東大寺執事長などの就任を経て、75年から大僧正、華厳宗管長、
東大寺住職 第207・208世別当を歴任、81年には東大寺長老となり「仏教伝導文化章」を受章。
氏の代表的な仕事の一つに、71年から10年間かけての東大寺大仏殿の
「大仏殿昭和大修理落慶大法要」があり主宰、厳修を務めた。
またそうした法務の傍ら美術品研究家として知られ作家作品の箱書、古書や古陶磁の鑑定を行い、
また自らも絵画、陶芸、書を中心に多数の作品を制作。
特に陶芸作品でテラコッタ風の「泥仏」とされる仏像は愛嬌があり大変人気が高い。
印名は「公照」 「公」 「光照之印」 「東大長印」 「華風」(「花風」) 「東大寺儈」 「風人月散」
「寶巌精舎」(「宝厳精舎」) 「華巌子」(「花厳子」) 「莫高窟」 「八十五翁公照」 「有一喜」 など