濤川惣助

濤川惣助(なみかわ そうすけ、1847年(弘化4)~1910年(明治43))
房総国鶴巻村蛇園(千葉県海上町蛇園)出身

1878年、第一回勧業博覧会にて七宝焼を見た時に七宝の海外輸出の可能性を見出す。
独自の研究により七宝制作に取り組み、それまでの七宝焼の根底を覆す「無線七宝」を完成。
1881年、第二回勧業博覧会に出品して名誉金牌を受賞。一躍その名が知られる。
83年アムステルダム万国博覧会、85年ロンドン万国博覧会にていずれも金牌、
89年パリ万国博覧会では名誉大賞を受賞、京都の並河靖之と共に日本の七宝技術の高さを世界に示す。
96年に並河靖之と共に帝室技芸員を拝命。

初期の頃は無線七宝の作品を多く制作していたが、
晩年になると有線七宝も作品に取り入れて近景に有線七宝、遠景に無線七宝を使うなど
遠近感を表現、より写実的な作品を作り上げている。