狩野松栄(かの しょうえい、1519年(永正19)~1592年(文禄元年))
京都出身。本名は直信、通称は源七郎、大炊助
狩野元信の3男として生まれる。
父、狩野元信を師事し、画風を継承する。 父の元信と共に石山本願寺墨絵屏風の製作に従事。
また、長男には狩野永徳がおり、聚光院本堂襖絵(国宝指定)などを共作。
父(元信)と子(永徳)の盛名に挟まれて、余り評価の無かったが、
単独の作品でも大徳寺仏涅槃図などを残しており、近年その画技の確かさが再認識されつつある。
印名は「直信」など
狩野松栄(かの しょうえい、1519年(永正19)~1592年(文禄元年))
京都出身。本名は直信、通称は源七郎、大炊助
狩野元信の3男として生まれる。
父、狩野元信を師事し、画風を継承する。 父の元信と共に石山本願寺墨絵屏風の製作に従事。
また、長男には狩野永徳がおり、聚光院本堂襖絵(国宝指定)などを共作。
父(元信)と子(永徳)の盛名に挟まれて、余り評価の無かったが、
単独の作品でも大徳寺仏涅槃図などを残しており、近年その画技の確かさが再認識されつつある。
印名は「直信」など