玉楮象谷

玉楮象谷(たまかじ ぞこく、1806年(文化3)~1896(明治29))
讃岐(香川県)出身。

20歳の頃京都に赴き漆塗りの唐(中国)伝来の漆塗りの技法を学ぶ。
独自の技法により堆朱、堆黒といった彫漆の作品やキンマと呼ばれる南方渡来の籃胎漆器を展開し
高松藩の漆塗師として活躍、その技術は神業と絶賛された。
そうした作品は藩主から讃岐塗、讃岐彫と奨励されるようになり、
現在の讃岐漆工芸の基盤となった人物。
尚玉楮家はその後3代で明治末期に途絶えたが、
その後象谷の作品に私淑した音丸耕堂や磯井如真らが活躍し、
讃岐漆芸を全国に広めた。

印名は「象谷」 「玉楮象谷」 「讃岐」 など