鈴木貫爾

1919年~1982年

1919年 岩手県盛岡市に、南部藩お抱え釜師である「南部釜師」第13代盛久の長男として生まれる。本名鈴木信一。
1942年 東京美術学校工芸科鋳金部を卒業する 師は香取秀真
1946年 東京美術学校工芸科鋳金部講師 第2回日展に「壷」を出品して初入選する
1947年 香取秀真より貫爾の号を受ける
1957年 第13回日展に「テラスの為の装飾火蛾の踊り」を出品し、特選、北斗賞を受賞以来同展無鑑査、出品委嘱
1967年 日展会員となり

50年及び70-73年2度にわたり正倉院金工品の調査にあたり、著書『正倉院の金工』を76年に発刊する。73年より東京芸術大学教授をつとめ、77年には第13代盛久の死去により第14代盛久を襲名する。