関精拙(せき せいせつ、1877年(明治10)~1945年(昭和20))
兵庫県浜坂町出身
2歳の頃に浜坂町天隣寺に養子として預けられ6歳で得度、僧名元浄を名乗る。
1893年に京都天龍寺の僧堂に入り橋本峨山のもとで修行。
1900年には天隣寺に戻り住職に就任。
次いで神戸の徳光院住職、本山天龍寺山内の慈済院住職を歴任し、
22年に7代天龍寺派管長に就任する。
その後、天龍寺240世住持、天龍僧堂師家として同派の布教と多くの弟子の育成に尽力。
主な弟子に関牧翁、清水公照など。
印名は「精拙」 「霤亀山主」 など