須田国太郎

須田 国太郎(すだ くにたろう、明治24年(1891)~昭和36年(1961) 70才没)
京都市出身。

少年期から文芸趣味に秀で、第三高校以来没年まで謡曲を趣味とする。
京都帝大で美学美術史を専攻、写実主義を卒論とし、大学院で絵画の技法論を学ぶ。
1919年、渡欧。マドリードを中心に各地を旅し、
マニエリスム絵画を主とした模写10余点と多数の風景画を描く。
1934年、独立美術協会会員となり、渡欧で得た成果を糧に独自の重厚な作風を確立。
特に黒色の奥深さが印象的です。

日本芸術院会員、京都市立美術大学学長代理、毎日美術賞受賞。