高浜虚子

高浜 虚子(たかはま きょし、明治7年(1874)2月22日~昭和34年(1959)4月8日 85才没)
愛媛県松山市長町新町(現・松山市湊町)に旧松山藩士・池内政忠の4男として生まれた。
本名は高濱 清(たかはま きよし)

1888年、伊予尋常中学(現在の愛媛県立松山東高校)に入学し、
正岡子規に兄事し俳句を教わる。
1891年、子規より虚子の号を受ける。

1897年、柳原極堂が松山で創刊した俳誌「ほとゝぎす」に参加。
翌年、虚子がこれを引き継ぎ東京に移転し俳句だけでなく、
和歌、散文などを加えて俳句文芸誌として再出発し、夏目漱石なども寄稿している。
「ホトトギス」からは飯田蛇笏、水原秋桜子、山口誓子、中村草田男、川端茅舎、松本たかしなどを
輩出している。
1902年、俳句の創作を辞め、その後は小説の創作に没頭している。

1910年、一家をあげて神奈川県鎌倉市に移住。以来、亡くなるまでの50年間をここで過ごした。
1913年、俳壇に復帰。
1954年、文化勲章受章。
2000年、長野県小諸市に小諸高浜虚子記念館が開館。
同年、兵庫県芦屋市に・虚子記念文学館が開館。