鹿子木孟郎 (かのこぎたけしろう、明治7年(1874)~昭和16年(1941) 69才没)
岡山県生まれ。号は不倒。
高等小学校卒業後、松原三五郎の天彩学舎に入学。後に小山正太郎の不同舎に入学。
1895年、文部省教員検定試験に首席合格、滋賀県尋常中学校(彦根中学校)に勤務。
1900年、渡仏し、アカデミー・ジュリアンでジャン・ポール・ローランスに師事した。
帰国後は京都に住み、関西美術院、京都高等工芸学校などで指導に当たる。
1904年、京都に居を定める。鹿子木室町家塾創設。
1905年、浅井忠らと関西美術院を創立。
1906年、1915年にもパリに滞在し、ローランスの愛弟子として注目された。
1918年、京都下鴨にアカデミー鹿子木下鴨家塾開設。
文展審査員、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章。