黒田重太郎 (くろだじゅうたろう、明治20年(1887)9月20日~昭和45年(1970) 83才没)
滋賀県大津市生まれ。
1904年、鹿子木孟郎に門に入り、のち浅井忠の関西美術院に学んだ。
1910年、土田麦僊らと黒猫会(翌年仮面会と改称)の結成に参加。文展を経て、二科会に出品する。
1916年、渡欧。グランド・ショミエールなどで学び、ピサロ風の印象主義に感化された。
1918年、帰国。翌年第6回二科展で二科賞を受賞。
1921年、再度渡欧、アカデミー・モンパルナスでアンドレ・ロートに師事、
またロジェ・ビシエールにも学んだ。
1923年、小出楢重らと信濃橋洋画研究所を開設して後進を指導。
1947年、二紀会を創立。
1950年、京都市立美術大学教授。日本芸術院恩賜賞受賞。
印象派やキュビズムを摂取したが、のち流動的な線描で平明な写実する作風。
美術史論に関する著作も多い。
代表作は『港の女』(東京国立近代美術館)、『渚に座せる女』(京都市美術館)。