松林豊斎(朝日豊斎) 14代(まつばやし ほうさい、1921年(大正10)~2004年(平成16))
13代松林光斎の長男として京都府宇治市に生まれる。
本名を豊彦、号を猶香庵。
1943年(昭和18) 国立陶磁器試験場を退職。
1946年(昭和21) 朝日焼14代を襲名。
1971年(昭和46) 無煙登窯を築窯。 1975年(昭和50) 無煙登窯に穴窯を併設する。
三笠宮妃殿下、三笠宮容子内親王殿下に火入式で御来窯御台臨を賜り「玄窯」と御命名、
「豊斎」印を拝領しました。
1995年(平成7)に京都・大徳寺本山で得度し、
大徳寺派管長・福富雪底老師より「猶香庵」の号を授かりました。
宇治の土を用いて伝統的作風を追求しながら、独自の細やかで瀟洒な世界を展開しました。
朝日焼は品格の高い茶器を産した事で知られ、遠州七窯や不昧十窯にも挙げられています。
朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴である。
そして、それぞれの特徴によって、燔師(はんし)、鹿背(かせ)、紅鹿背(べにかせ)など
呼び名が決まっている。