指物師 駒沢利斎(こまざわ りさい(14代)、1909年(明治42)~1977年(昭和52))
京都市出身。本名は浪江
13代利斎の妻で、13代利斎との間に1941年に長女、44年に待望の長男を授かるも
長男が翌年の45年に死亡。
その為に13代利斎の没後、家を絶やすわけにはいかないとの思いで決心して
自ら14代利斎を襲名、以来、77年に没するまで家を守る。
また、その間、次代15代利斎を襲名させるべく指物技術を伝授していた長女千代子にも
1961年に20歳の若さで先立たれる不幸に見舞われている。
駒沢家は歴代においてその当主或いは親族が短命で一代が長く続かない事が多々あり、
常に後継者問題に悩まされる事が特筆すべき点で、
現在は、14代の甥に当たる吉田一三氏が後見人を勤めているが
15代を襲名しておらず、長らく空席が続いている状態である。
今後は、14代の吉田氏の息子である吉田博三氏が後を嗣ぐべく修行中である。
印名は小判印「り」(「リ」)