岩佐又兵衛(いわさ またべい、1578年(天正6)~1650年(慶安3))
摂津国伊丹(兵庫県伊丹市)出身。本名は勝以
伊丹の有岡城主荒木村重の子として生まれる。
村重が、織田信長に謀反を企てた為、2歳のときに石山本願寺に預けられ母方の岩佐姓を名乗る。
他の兄弟たちは、武家として再興を目指したが、画業にて立身を決する。
土佐派・狩野派・雲谷派・海北派などの諸派を修得。
また画の師は不明だが、土佐光則説、狩野松栄説がある。
1616年に越前福井藩主に仕えて以後、約20年間福井に居を構えた。
37年に徳川家光から招かれて幕府の御用絵師となる。
代表作に「三十六歌仙」、「源氏物語図」、「伊勢物語図」などを残している。
印名は「勝以」 「碧勝宮圖」(「碧勝宮図」) など