長谷川利行

長谷川 利行(はせがわ としゆき。「はせがわ りこう」とも。明治24年(1891)7月9日~昭和15年(1940)10月12日 49才没)京都府京都市山科区出身。

1911年、「みずゑ」主催の水彩夏期講習会に参加。
1923年、第1回新光洋画展で「田端変電所」が入選。
1925年、第3回大阪藝術展で入選。
1926年、第13回二科展で「田端変電所」が初入選。第7回帝展で「廃道」が入選。
1927年、第14回二科展に「麦酒室」などを出品し樗牛賞受賞。
1928年、1930年協会展に「地下鉄道」などを出品し奨励賞受賞。
1930年、二科展に「タンク街道」などを出品。
1937年、第1回一水会展に「NOANOA」などを出品。

絵は独学だったが非常に速筆で、1~2時間ほどでれっきとした油絵を仕上げてしまう。
自身のアトリエを持たず、「思い立ったら絵を描く」スタンスを生涯続けた。