山川永徳斎

山川永徳斎(やまかわ えいとくさい)

初代永徳(雄七)、(文政12~明治41)は京都丹波国亀山藩(現在の亀岡市)の人で剣術指南役、山川多仲の7男として生まれる。
京都に登り「次郎左衛門雛」で有名な11代岡田次郎左衛門の下で修行を重ねる。
その後、左大臣勝子姫(後の照憲皇太后)の注文により市松人形を献上した。
安政4年頃に江戸支店を任されるが、明治初期(2年頃)に岡田家江戸屋敷を拝領、
独立して東京日本橋十軒店にて開業する。
その際、手放された市松人形の代わりに再び照憲皇太后に注文を受け、号を「永徳」から「永徳斎」と賜る。
以降、宮中御用や財閥関係、上流階級から大いに受注を得た。

現在4代。各代の作品を見ても気品高い顔立ちと精巧無比な創造性が永徳斎の特長とも言えるが、
初代は江戸期の顔立ちを継承、2代は明治盛期の気品ある顔立ちと様相、
3代は大正期東玉などの幼い顔立ちと初~2代を継承する写実性ある人形を特長としている。
また初代は雛人形を中心に節句物を得意としたのに対し、2代以降は武者人形に秀作が多い。