九条 武子(くじょう たけこ、明治20年(1887)10月20日~昭和3年(1928)2月7日 42才没)
京都で生まれる。
義姉・大谷籌子裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設。
1911年、籌子が30歳の若さで早世の際は本部長に就任、同会運営の重責を果たした。
京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立。
1923年の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、
震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。
歌人としても和歌にも長け、佐佐木信綱に師事。
『金鈴』『薫染』などの歌集がある。