白隠慧鶴(はくいん えいかく、1685年(貞享2)~1768年(明和5))
駿河国原宿(静岡県沼津市)出身。本名は慧鶴(法名)、白隠(道号)
長沢某家の三男として生まれたが、15歳の頃に地元の松蔭寺単嶺祖伝の下に出家。
その後、清水の禅叢寺に参禅したのち諸国を遊学し、越後高田の英巌寺性徹師の下で悟りを開く。
以後も遊方を続け、信濃国飯山の道鏡慧端の下で大悟して、その法嗣となる。
1716年に、地元松蔭寺に戻り、駿河を中心に臨済宗の復興に力を注ぎその布教活動に尽力。
1763年に、三島竜沢寺を中興開山するなど臨済宗中興の祖として後年に名を残す。
禅画、墨蹟をよく残すほか、代表著書に「坐禅和讃」などを残す。
印名は「白隠」「慧鶴」「慧鶴之章」「臨済正宗」「顧鑑咦」「龍徳先天」など