藤井誡堂(ふじい かいどう、1898年(明治31)~1984年(昭和59))
大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職
戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。
特に茶陶に深い造詣を持ち、京焼陶工を指導して、江戸時代の紫野焼復興に功績を示す。
自作の茶碗、茶杓、茶掛書も数多く製作、茶席では大徳寺歴代管長の中でも人気の高いひとり。
印名は「誡堂」 「龍寶」(龍宝) 「露堂〃」 「麻弎斤」(「麻三斤」) など
藤井誡堂(ふじい かいどう、1898年(明治31)~1984年(昭和59))
大徳寺515世管長、大徳芳春院二十二世、大徳寺塔頭三玄院住職
戦後より大徳寺の復興に瑞巌、雲窓らと共に尽力を示す。
特に茶陶に深い造詣を持ち、京焼陶工を指導して、江戸時代の紫野焼復興に功績を示す。
自作の茶碗、茶杓、茶掛書も数多く製作、茶席では大徳寺歴代管長の中でも人気の高いひとり。
印名は「誡堂」 「龍寶」(龍宝) 「露堂〃」 「麻弎斤」(「麻三斤」) など