宮本武蔵

宮本武蔵(みやもと むさし、1584年(天正14)~1645年(正保2))
兵庫県高砂市出身。本名は藤原玄信、辨助(弁助)、弁之助

幼い頃より剣技を磨き、13歳にして播磨平福の新当流有馬喜兵衛と戦い打ち勝つ。
以後、剣技上達を一筋に諸国を周遊して更なる向上を目指す。
29才の頃、九州舟島(巌流島)において佐々木小次郎と決闘する間、六十余度の勝負も負けたことが
なかったといわれる。
また、それ以降は島原の乱に唐津藩として参戦するなど活躍を示し、
1640年には熊本城主細川忠利に客分として招かれ熊本に移り、五輪書、兵道鏡、独行道などを
書き上げるなど兵法者としての一面を見せるほか、書画、彫刻、工芸品にも優れた作品を残している。

印名は「武蔵」「二天」など