葛飾北斎(かつしか ほくさい、1760年(宝暦10)~1849年(嘉永2))
江戸出身。本名は時太郎のち鉄蔵。
はじめ、江戸幕府御用鏡師中島伊勢の養子となったが、その後中島の実子に家督を譲る。
貸本屋の丁稚、木版彫刻師の従弟を経て、1778年に浮世絵師勝川春章の門下となる。
また狩野派(狩野融川)、土佐派(住吉廣行)、洋画(司馬江漢)を学ぶ。
風景画を多く手がけ「春朗」と号したが、翌年に勝川派を破門される。
95年頃より「北斎宗理」の号を用いて独立。
98年には、宗理の号を門人の宗二に譲って、自らは「葛飾辰政」と号す。
以来、05年に「葛飾北斎」、10年に「戴斗」、20年に「為一」、34年に「画狂老人」、「卍」と改号。
生涯で30回の改号をする。
浮世絵師としては代表作「富嶽三十六景」をはじめ「北斎漫画」が有名で生涯に3万点を越す作品を発表。
また、挿絵画家としても山東京伝、曲亭馬琴の作品の挿絵を担当。
門下として2代葛飾北斎、葛飾北一、葛飾北明、葛飾北岱・葛飾北目・葛飾為斎・葛飾北鳶など
多数の絵師を輩出して葛飾派を形成する。
一説に多くの雅号を次々と変えたのは、門弟に号を与えた為と言われる。
印名は「ふもとのさと」 「宗知」 「龜毛蛇足」(「亀毛蛇足」) 「雷震」 「葛可」 など