鏑木 清方(かぶらき きよかた、明治11年(1878)8月31日~昭和47年(1972)3月2日 93才没)
近代日本の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられる。人物画が多く、明治時代の東京の風俗を写した風俗画というべき作品が多い。
東京・神田に生まれ。本名は健一。
満13歳で浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門。
16歳頃から清方の父親が経営していた「やまと新聞」の挿絵を描き始め、 10代にしてプロの挿絵画家として活躍。
1901年に仲間の画家らと烏合会(うごうかい)を結成。
1916年に吉川霊華、平福百穂らと金鈴会を結成するが、清方自身はこうした会派、党派的活動には関心があまりなかったようだ。
このころから次々と作品を発表し、第1回帝展の審査員に任命される。
浮世絵の流れもくむ清方の画風は、人物の容貌だけでなく内面の心理まで描き尽くす描写には高い技量と近代性、芸術性が見られる。重要文化財指定の『三遊亭円朝像』(1930年)は、清方には珍しい壮年男性の肖像であるが、代表作の一つに数えられている。
神奈川県鎌倉市には鏑木清方記念美術館がある。