狩野探幽(かの たんゆう、1602年(慶長7)~1674年(延宝2))
京都出身。鍛冶屋橋狩野派初代。本名は、幼名四郎次郎のち守信
狩野永徳の子、狩野孝信の長男として生まれる。
画を孝信及び孝信の没後は、狩野興以に学ぶ。
幼少時より類稀なる才を発揮し、11歳の頃に駿府にて徳川家康に謁見する。
その後、15歳にして御用絵師として仕える。
二条城、名古屋城、江戸城など幕府建立の城郭や大徳寺、妙心寺などの
有力寺院の障壁画・襖画を多数手掛け、また既存古画への研鑽も深く、
それらを縮小して模写(「探幽縮図」として残る) するなど狩野派中興の祖といわれる。
画家としての最高位である法印に叙されている。
また、狩野宗家とは分家して鍛冶屋橋狩野派を創始。
画業のほかにも、小堀遠州に師事して大師流の茶道や書、和歌にも秀でた。
尚、弟には尚信、安信がおり、門下にも鶴沢探山(鶴沢派を創始)をはじめ
狩野洞雲、山本素程など多くの優秀な画家を輩出している。
代表作に「二条城障壁画(重文指定)」、「探幽縮図」
印名は「藤原」 「守信」 「筆峯大居士」 「忠淵」 「守政」 「玉堂静暇」 「法印生明」 「日道」
「法眼探幽」 「探幽斎」 など