狩野光信

狩野光信(かの みつのぶ、1565年(永禄8)~1608年(慶長13))
京都出身。本名は四郎次郎(幼名)、右京進、光信

狩野宗家5代目狩野永徳の長男として生まれる。
幼少時より父に画法を学び、信長・秀吉・家康と天下人三人すべてに仕えた。
画業として、はじめ1576年に父永徳の仕事であった安土城の障壁画製作に参加。
以降も父をよく手伝いながら自身の画技を修得し、父の没後、家を継いで狩野宗家6代目を継承。
また、信長の没後は秀吉に仕えて、1592年に肥前名護屋城障壁画などを製作。
さらに秀吉の没後は、家康の画御用も勤め度々江戸に下洛している。

代表作に1600年製作の「勧学院障壁画・花鳥図襖」、他、京都高台寺蔵「秀吉像」など。
尚、門下には狩野宗心、狩野興以、狩野梅軒、渡辺了慶などを輩出。

印名は「光信」など