川辺御楯(かわべ みたけ、1839年(天保9)~1905年(明治38))
筑後国(福岡県)出身。号は、御楯、華陵、鶯外、墨流亭、後素堂、等
筑後柳川藩士で画家でもあった、川辺正胤の子として生まれる。
父及び久留米藩の絵師三善真琴に、狩野派の画技を師事。
幕末時には藩士として国事に奔走し、長州討伐戦にも従軍、また、高杉晋作、三条実美らとも交流。
明治に入ると、明治政府の大政官に出仕。
画業では1968年より、土佐光久に師事。
大和絵の技法を学び狩野派から土佐派へと画風の転向を示し、
さらに、伊勢神宮権禰宜を務めて、有職故実の研鑽を深める。
日本美術協会展をはじめ明治期から開催され始めた各種展覧会に出品を重ねた。
そのほか、奈良正倉院宝物模写、東宮御所襖絵、皇居杉戸絵などを担当。
狩野派の作品よりも土佐派の作品に秀作を多く残す。
代表的な門下には近代絵画の巨匠中村岳陵がいる。