富岡鉄斎

(とみおか てっさい、天保7年(1836)1月25日~大正13年(1924)12月31日 89才没)
京都生まれ。幼名は不明。猷輔を通称とし、のちに道昴・道節と称し、
明治のはじめ頃、一時名を鉄斎としたが、しばらくのち百錬に改名。
字を無倦、号を鉄斎。別号に鉄人、鉄史、鉄崖など。

耳が少し不自由であったが、幼少の頃から勉学に励み、はじめ富岡家の家学である石門心学を学ぶ。
国学や勤王思想、漢学、陽明学、詩文などを学ぶ。
南北合派の窪田雪鷹、大角南耕に絵の手ほどきを受け、南画を小田海僊に、大和絵を浮田一惠に学んだ。

「最後の文人」と謳われた鉄斎は、学者(儒者)が本職であると自認し、絵画は余技であると考えていた。

彼の作品は生涯で一万点以上といわれる。
80歳を過ぎてますます隆盛で、色彩感覚の溢れる傑作を描いた。
生涯を文人として貫き、その自由で奔放な画風は近代日本画に独自の地位を築き、
梅原龍三郎や小林秀雄らが絶賛。
日本のみならず世界からもいまなお高い評価を受けている。

兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺の鉄斎美術館と、西宮市の辰馬考古資料館に多くの作品が収蔵されている。

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