中村正義(なかむら まさよし、1924年(大正13)~1976年(昭和51))
愛知県出身。本名は中村正義(まさよし)
1946年、中村岳陵の画塾蒼野社に入塾する。
同年、第2回日展で初入選。
50年、第6回日展で特選・朝倉賞、52年第8回日展で特選・白寿賞を受賞。
1960年、36歳の若さで第3回新日展の審査員となるが、現画壇の体制では自由な表現ができないと
独自に悟り、翌年から日展及び師の画塾蒼野社を脱会し、無所属画家として制作を続けた。
終生のテーマに「顔」を取り上げ、「絵のすべては自画像」「何を描いても自分自身」と考察し
自画像の作品は「顔」の連作をはじめとして、多種多様な顔作品を残す。
作品の中には、口から飛び出た歯を持つ顔、曲がった鼻を持つ顔、
更に顔の中に違う顔を描いた作品など、一目すると奇形な顔の作品も多数制作しており、
自身の著作物に『創造は醜なり』としている。
52歳という若さでなくなるまで、芸術の真髄を模索し、その表現する場を求め続けた
夭折の画家として日本画史にその名を残す。
印名は「正義」「義」ほか