野口幽谷(のぐち ゆうこく、1825年(文政8)~1898年(明治38))
江戸出身。本名は続、通称は巳之助
1851年ごろより、椿椿山に南画を学ぶ。
1872年ウイーン万博「雌雄軍鶏」、77年に第1回内国勧業博覧会展「竹石図」(褒状)、
82年内国絵画共進会「菊花図」、88年日本美術協会展「矮竹子母鶴図」(銀牌)など
国内外の展覧会に出品・受賞を重ねる。
89年には滝和亭らと共に青年絵画協会を結成、93年に帝室技芸員を拝命する。
渡辺崋山、椿椿山と続く、謹直な画風で花鳥図、人物図などを得意とした。
門下には松林桂月。
印名は「幽谷畫印」(「幽谷之印」) 「輪樂」(「和楽」) 「臣読之印」 「東京之人」 「読之印」
「読印幽谷」 「米墨水神仙」 など