野村文挙

野村文挙 (のむらぶんきょ、安政元年(1854)~明治44年(1911) 58才没)
京都四条鳥丸の長刀鉾町に生まれる。幼名は松太郎。字は子融。画人の雅号は、文挙のほかに右泉、福吉翁など。

四条派の画家・塩川文麟に師事して、円山四条派の画法を学ぶ。
明治10年、京都府画学校開校、教鞭を取る。
明治22年、学習院の教授。

「写生画復興」の旗印のもと、展覧会に次々と大作を出品して受賞を重ね、画家としての地位を確かなものとする。さらに、森寛斎のもとで円山派の真髄を極めようとつとめる。

円山・四条派の写生画に、写実を重んじる近代的描法を加味した風景画作品を得意する。
その神髄は、彼の弟子である山元春挙らへと引き継がれてゆき、近代京都画壇の基礎を作った。